履歴書榎木英介(2008年12月30日現在)
榎木英介 Eisuke Enoki
E-mail: en7e-enk@asahi-net.or.jp
Homepage http://www.asahi-net.or.jp/~en7e-enk/
学位:博士(医学)、修士(理学):医師
NPO法人「サイエンス・コミュニケーション」(代表理事)
生化学若い研究者の会(1995年より)
日本生化学会会員
日本発生生物学会会員
日本知財学会会員
日本医学教育学会学生会員
科学技術社会論学会会員
日本病理学会会員
日本臨床細胞学会会員
1971.10.16生
出身:横浜市
1987〜1990年 神奈川県立柏陽高校
1990〜1991年 早稲田大学理工学部応用化学科
1991〜1993年 東京大学教養学部理科2類
1993〜1995年 東京大学理学部生物学科動物学専攻
1995〜2000年 東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻動物学大講座(総合文化研究科浅島誠教授)
2000〜2004年 神戸大学医学部医学科(学士編入学)
2004年5月6日 医師免許取得
2004〜2006年 研修医
2006年3月20日 博士(医学)
2006〜 病理専門医になるため修行開始
2008年3月 死体解剖資格取得
研究業績リスト (2008年12月現在)
<受賞>
- 蛋白質核酸酵素 創刊40周年記念 学生論文入選.(1997年)
- 日経サイエンス創刊30周年記念、論文・提言 提言の部 佳作入選.(2001年)
- 財団法人倶進会 柿内賢信記念賞研究助成金 実践賞 受賞.(2005年)
<学術論文>
- The phenoxazine derivative Phx-1 suppresses IgE-mediated degranulation in rat basophilic leukemia RBL-2H3 cells. Enoki E, Sada K, Qu X, Kyo S, Miah SM, Hatani T, Tomoda A, Yamamura H. J Pharmacol Sci 94, 329-33, 2004.
- なぜ我々はAAASに注目するのか.榎木英介.科学技術コミュニケーション 第2巻 49-55, 2007年.
- 研究倫理問題 現状と課題〜科学研究の不正行為を中心に.榎木英介.社団法人神緑会学術雑誌 第23巻 118-121, 2007年
- ポスドク問題〜現状と課題.榎木英介.日本物理学会誌 第62巻第12号 950-953, 2007年.
- 科学技術政策とNPO 政策提言型科学技術NPOの現状と課題.榎木英介, 春日匠.科学技術社会論研究 第5号 44-55, 2008年.
- Gingival Metastasis from Ovarian Mucinous Cystadenocarcinoma as An Initial Manifestation(A Rare Case Report). Sasaki H, Ohara N, Minamikawa T, Umeda M, Komori T, Kojima N, Takemura N, Morita H, Sugihara R, Enoki E, and Itoh T. Kobe J Med Sci 54(3), 174-182, 2008.
<著書>
失敗しない大学院進学ガイド.日本評論社,2006年.分担執筆.
1章「大学院進学ケーススタディ」2〜21ページ
5章「大学院生のハッピーライフ」94〜104ページ
6章「学生のメンタルヘルス」137〜141ページ
7章「大学院生の多彩なキャリアパス」142〜164ページ
<総説>
- 発生生物学的アプローチによる人工臓器の形成. 浅島誠、榎木英介.人工臓器第26巻4号 849-857, 1997年.
- 器官形成の分子生物学.浅島誠、榎木英介. 化学工業 Vol.48 No.9 733-738, 1997年.
- 初期発生中胚葉形成 連載講座 個体の生と死. 浅島誠、榎木英介.生体の科学 Vol.49 No.3 227-232, 1997年.
<学会講演、発表>(サイコムジャパン主催のもの除く)
- 「両生類の心臓形成におけるアクチビンの役割」 日本発生生物学会 第30回大会(筑波大学)(1997年5月)
- STS Japanシンポジウム「大学独立行政法人化問題とは何か」コメンテーター(2001年3月)
- 「研究問題メーリングリスト,これまで,これから?NPO法人化を目指して」 STS Network Japan 研究発表会(2002年3月24日)
- 「若手が生かされる科学のために 現状、課題、我々にできること」 日本生理学会「若手の会」シンポジウム「科学とは何か? ?医学生理学の展望と若手研究者の未来?」での講演(2002年3月29日)
- 「若手研究者を取り巻く状況」 生化学若い研究者の会第43回夏の学校にて講演(2003年8月9日)
- 「生化学会・研究体制検討委員会からの提言」 日本生化学会ラウンドテーブルディスカッション「バイオ研究体制の国家政策と生化学会の取組み」(2003年10月17日)
- 「科学コミュニケーターワークショップ」 総合研究大学院大学本部(葉山キャンパス)パネリスト(2006年2月14日)
- 「Costep卒業制作発表会」 北海道大学 コメンテーター(2006年3月19日)
- 知が生かされる社会を目指して?サイエンス・コミュニケーションと男女共同参画 第4回 男女共同参画学協会連絡会シンポジウム “育て、女性研究者!! 理工系女性研究者支援の新しい波” 分科会 B:「新たな活躍の場をもとめてーフロンティアをめざす研究者」 (2006年10月6日)
- 政策提言型科学技術NPOの現状と課題 NPO法人サイコムジャパンの実践を通して 科学技術社会論学会 第5回年次研究大会 オープンシンポジウム「サイエンス・コミュニケーションの現状と課題」 (2006年11月12日)
- 研究下流社会? 取り残された若手研究者のキャリア問題 第34回JSAO綜合科学シンポジウム 討論主題:「現代社会が求める大学の役割と現状」(2007年5月19日)
- 研究下流社会をぶっ飛ばせ 幸せをつかむためのサバイバル術 第47回生化学若い研究者の会生命科学夏の学校(2007年8月3日)
- 研究者の多角的なキャリアパス提案 NPG ネイチャーアジア・パシフィック主催 ライフサイエンス研究職キャリアセミナー(2007年9月7日)
- 多様化する大学院生のキャリアパス 教員の皆さんに望むこと 岐阜大学医学部ファカルティデベロプメント講演会(2007年10月19日)
- 若手研究者の就職難と劣悪な待遇の解決のための公開シンポジウム パネリスト 日本共産党 学術・文化委員会(2008年2月2日)
- 「科学・技術の危機とポスドク問題〜高学歴ワーキングプアの解消をめざして」(国家公務員労働組合連合会主催)にて報告(2008年11月16日)
- 「院生必見!理工系・バイオ系の研究キャリアガイド」(サイエンスアゴラ2008)にて発表(2008年11月23日)
<その他>
発表文章
- 科学と啓蒙 実績主義が忘れているもの. 蛋白質核酸酵素 Vol.42 No.11 1901-1902, 1997年.(蛋白質核酸酵素 創刊40周年記念 学生論文入選)
- 高等学校生物はつまらない. 日本の理科教育があぶない 高等教育フォーラム監修 学会センター関西・学会出版センター 284-285, 1998年.
- 研究問題メーリングリスト--1年半の総括. 蛋白質核酸酵素 Vol.45 No.1, 103, 2000年.
- なぜ博士号が問題か? 集中連載博士号(その1). 蛋白質核酸酵素 Vol.45 No.16, 2665, 2000年. (キュベット委員会名)
- 博士号を価値ある資格とするために 集中連載博士号(その5). 蛋白質核酸酵素 Vol.46 No.5, 685, 2001年. (キュベット委員会名)
- 研究問題メーリングリスト これまで、そしてこれから. ACADEMIC RESOURCE GUIDE 2001-09-16:第110号
- 奨学金 安心して研究できる制度に. 朝日新聞「私の視点」(2001年10月20日).
- Japan's funding cuts hit the future of science. E Enoki. Nature 414, 485 2001.
- 科学政策への注文 若手が生かされる科学のために. 日経サイエンス2002年2月号 P117. (日経サイエンス創刊30周年記念、論文・提言 提言の部 佳作入選)
- 日本育英会廃止の衝撃 シリーズ大学院生の経済問題 (その1). 蛋白質核酸酵素 Vol.47 No.10, 1357, 2002年. (キュベット委員会名)
- 希望と展望 シリーズ大学院生の経済問題 (その3). 蛋白質核酸酵素 Vol.47 No.13, 1887, 2002年. (キュベット委員会名)
- 国立大学法人化をこえて―問題提起編. 蛋白質核酸酵素 Vol.48 No.9, 1331, 2003年.
- 大学改革への提言−若手研究者の視点から. 蛋白質核酸酵素 Vol.48 No.10, 1431, 2003年.
- 大学も社会に伝わる広報を.毎日新聞理系白書・提言.2004年2月2日.
- 若手研究者向け研究費の問題点. 蛋白質核酸酵素 Vol.49 No.8, 1251, 2004年.
- 右手に資格,左手にチャレンジ. 蛋白質核酸酵素 Vol.50 No.2, 195, 2005年.(深島守名)
- ノーベル賞,ピロリ菌の発見者に. バイオニクス 2005年11月号.
- NPOサイコムの「科学技術政策」ここが焦点 [2] 25兆円で決着 今後5年の科学技術予算数値目標. バイオニクス 2006年2月号. (立花浩司、林衛との共著)
- NPOサイコムの「科学技術政策」ここが焦点 [4] バイオ分野の重点戦略まもなく決まります −納税者への説明責任も−. バイオニクス 2006年4月号. (立花浩司との共著)
- 子供と歩む研究人生 出産・子育て研究者の支援制度はじまる 榎木英介、林衛. バイオ二クス Vol.3 No.5 18-19.2006年.
- 博士号取得者のキャリア支援制度始まる.“研究者離れ”の悪循環を経ち切る正念場だ! 榎木英介、林衛. バイオ二クス Vol.3 No.7 18-19.2006年.
- 研究者自ら問題点語れ.榎木英介. 科学立国は今 不正を断つために. 読売新聞 2006年9月10日.
- 基礎医学が崩壊する?臨床研修制度がもたらした“もう一つ”の医療危機.榎木英介、尾内隆之. メディカルバイオ Vol.4 No.5 108-109.2007年.
- 科学政策を「勝手に」比較、科学技術は“票”になるか.榎木英介. 日経BTJジャーナル Vol.21 15-17. 2007年.
- 競争的環境が誘発.榎木英介. 「科学者の良心とは 不正対策で議論 日本分子生物学会がシンポ」記事中インタビュー掲載.毎日新聞 2007年12月16日.
- 【報告】科学コミュニケーションからみたポスドク問題.榎木英介. 前衛 2008年5月号 173-178.
- 博士研究員 就職難が招く科学技術の危機.榎木英介. 私の視点.朝日新聞 2008年7月29日.文藝春秋社刊行、日本の論点2009609ページ(論点67 ポスドク問題のデータファイル)に引用される。
主催及び共催シンポジウム(以下NPO法人サイエンス・コミュニケーション発足以前のもののみ)
- 第一回研究問題メーリングリストシンポジウム「広がりつつある理工系出身者の活躍の場」(政策研究大学院大学隅藏康一助教授との共催)(2000年3月)
- 研究者の新しい役割 日本細胞生物学会フリーミーティング(2003年5月)
- 毎日新聞科学環境部「理系白書」シンポジウム NPOサイエンス・コミュニケーションが協力(2003年7月6日)
取材協力
- 朝日新聞 東京大学大学院に関するコメント(匿名での取材協力)(1998年12月)
- 実験医学 感想文(白楽ロックビル著 アメリカからさぐるバイオ研究の動向と研究者)(1999年6月)
- 博士号とる?とらない?徹底大研究:白楽ロックビル (著) 羊土社 インタビュー掲載(2000年10月)
- 「育英会の奨学金、存続を」 日本経済新聞2001年11月29日朝刊
- 「私の視点その後」 朝日新聞(2002年2月15日)
- 「TLOとライセンス・アソシエイト 新産業創生のキーマンたち 研究者と産業界の橋渡し役」(渡部 俊也、隅蔵 康一著 ビーケイシー 2002年4月)活動が紹介される
- Older Scientists Win Majority of Funding, Dennis Normile, Science, Vol 303, Issue 5665, 1746 , 19 March 2004 コメント掲載
- 特集. 大学院は出たけれど…大学院重点化、ポスドク支援政策のツケは誰が払う?日経バイオビジネス誌5月号(2004年4月15日)インタビュー掲載
- フジテレビ 新報道2001「高学歴ワーキングプア」に関するコメント(2008年10月12日)
- 週刊東洋経済2008年12月27-1/3日号にコメント掲載(P148 高学歴ワーキングプアに関する記事)
社会的活動
日本生化学会 研究体制検討委員会 研究体制に関する提言 作成に参加
その1 生化学 第75巻第7号、634-635, 2003年
その2 生化学 第75巻12号、1559-1560, 2003年
<科学技術コミュニケーションに関する活動履歴>
- 1995年(平成7年)
- 8月 生化学若い研究者の会に参加(平成7年から9年まで関東支部長)。市民向けシンポジウムの主催、会のウェブページの立ち上げ、蛋白質核酸酵素「cuvette」編集などを行う。
- 1996年(平成8年)
- 4月 立花隆ゼミを手伝う。ホームページ開設。
- 1998年(平成10年)
- 2月 日本の科学研究のあり方を考える「研究問題メーリングリスト」を開設する。
- 12月 朝日新聞の東京大学大学院に関する記事に匿名でコメントが掲載される。
- 2000年(平成12年)
- 3月 第一回研究問題メーリングリストシンポジウム「広がりつつある理工系出身者の活躍の場」を主催する(東京大学先端科学技術研究所隅藏康一助手(現政策研究大学院大学助教授)との共催
- 10月 「博士号とる?とらない?徹底大研究」(白楽ロックビル著, 羊土社)に大学院生の進路に関するインタビューが掲載される。
- 2001年(平成13年)
- 3月 STS Japanシンポジウム「大学独立行政法人化問題とは何か」にコメンテーターとして招待される。
- 11月 「育英会の奨学金、存続を」(日本経済新聞, 2001年11月29日)でNature投書が紹介される。
- 2002年(平成14年)
- 1月 NPO法人設立準備委員会を設立する。毎日新聞科学環境部「理系白書」への取材協力開始。
- 2月 「私の視点その後」(朝日新聞, 2002年2月15日)にて、NPO法人設立計画が紹介される。
- 3月 「研究問題メーリングリスト,これまで,これから?NPO法人化を目指して」 STS Network Japan 研究発表会にて発表。「若手が生かされる科学のために 現状、課題、我々にできること」 日本生理学会「若手の会」シンポジウム「科学とは何か? 医学生理学の展望と若手研究者の未来」にて講演。
- 4月 「TLOとライセンス・アソシエイト 新産業創生のキーマンたち 研究者と産業界の橋渡し役」(渡部 俊也、隅蔵 康一著, ビーケイシー)に研究問題メーリングリストが紹介される。
- 8月 生化学若い研究者の会夏の学校にて科学ジャーナリズム論実践分科会 「科学ジャーナリズムを考える---科学ジャーナリズムの何が問題なのか---」を主催する。
- 2003年(平成15年)
- 日本生化学会研究体制検討委員会 「研究体制に関する提言」作成に参加。この提言は生物学会連合会の提言のもととなり、文部科学省ほかへ提出される。科学技術振興調整費 政策提言「研究者のノンアカデミック・キャリアパス」に一般参加する。
- 5月 日本細胞生物学会フリーミーティングにて「研究者の新しい役割」を主催する。科学技術NPOの可能性について、市民科学研究室代表上田昌文氏ほかにご講演いただく。
- 7月 毎日新聞科学環境部「理系白書」シンポジウムにNPOとして協力する。
- 8月 生化学若い研究者の会夏の学校にて「大学院生が研究者になるためのノウハウ」「実践!科学ライティング入門〜科学を伝えるということ」を主催、前者にて「若手研究者を取り巻く状況」を講演する。
- 10月 日本生化学会ラウンドテーブルディスカッション「バイオ研究体制の国家政策と生化学会の取組み」をオーガナイザーとして主催する。「生化学会・研究体制検討委員会からの提言」を講演する。
- 12月 NPO法人(特定非営利活動法人)サイエンス・コミュニケーション設立、代表理事に就任する。
- 2004年(平成16年)
- 2月 「理系白書・提言」(毎日新聞, 2004年2月2日)に主張が掲載される。
- 3月 Scienceに若手研究者に関するコメントが掲載される。(Older Scientists Win Majority of Funding. Dennis Normile, Science, Vol 303, Issue 5665, 1746 , 19 March 2004.)
- 4月 日経バイオビジネス誌特集「大学院は出たけれど…大学院重点化、ポスドク支援政策のツケは誰が払う?」にコメントが掲載される。
- 2005年(平成17年)
- 11月 柿内賢信記念賞研究助成金 実践賞(研究助成金50万円)を受賞する。研究テーマは「日本の科学技術政策形成における非営利組織の役割」。
- 2006年(平成18年)
- 2月 総研大「科学コミュニケーターワークショップ」にパネリストとして招待される
- 3月 北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット 卒業制作発表会にコメンテーターとして招待される
- 4月 科学技術週間にあわせサイエンスカフェを大阪にて開催する。
- 6月 第一回政策研究会を開催する。
- 10月 サイエンスカフェを大阪にて開催する。
- 11月 サイエンスアゴラ2006にて「広がる草の根サイエンス・コミュニケーション」「本音で語る研究倫理問題」を主催する。
- 2007年(平成19年)
- 3月 女子高校生春の学校 -ジュニア科学塾 2007 in 関西に参加する。
- 6月 第三回政策研究会 AAASとサイエンス・コミュニケーションの未来を開催する。この会の内容は、科学技術コミュニケーション誌の小特集として掲載された。
- 11月 サイエンスアゴラ2007にて「広がる草の根サイエンス・コミュニケーション」「本音で語るポスドク問題」を主催する。
- 2008年(平成20年)
- 3月 女子高校生春の学校 -ジュニア科学塾 2008 in 関西に参加する。
- 7月 「シンポジウム 社会と科学をつなぐ」(大阪市立科学館)に参加。
- 11月 サイエンスアゴラ2008に参加。3つの発表をこなす。
〜関心、興味(お暇なときにでもお読みください)
私は、子供のころから科学が好きで、昆虫を取ったり天体観測をしたりした典型的理科少年でした。近所で高校の理科の先生が望遠鏡を持ち出して観望会をしていましたが、そういう会に参加したりして、次第に興味を持っていったように思います。中学校時代はアマチュア無線部に所属(当時コールサインJQ1PRA、失効して1991年に7N1BDRを再取得)、高校時代には理科部で天体観測とアマチュア無線に熱中しました。中学時代には文化祭でプラネタリウムを自作し、高校時代には手作りプラネタリウムの上映、校内日食観測会や、駅前での天体観望会をやったりと、今考えれば科学コミュニケーション活動をやっていたように思います。
大学(東大)では火山を研究したいと思っていたものの針路変更、理学部で生物学(動物学)を専攻しました。卒業研究では、三浦半島の三崎にある臨海実験所でホヤをいじっていました。このときも理科部の後輩を施設見学に案内したりしてました。当時からそういう科学コミュニケーションの活動が好きだったということなのでしょう。
もっとはっきりとした科学コミュニケーションとの最初の出会いは、大学時代かも知れません。大学3年生から4年生になる春休みに、理学部生物学科、生物化学科の仲間と「関西有力研究室見学ツアー」みたいなものをしました。今考えると知識もないまま押しかけて、多くの方々にご迷惑をおかけしたのだと思いますが、そのとき、当時まだできたばかりの生命誌研究館に立ち寄りました。そこで、京大の岡田節人先生のところで学位をとった後、カエルのクローンの研究で有名な発生学の大家ジョンガードン博士のところで研究をしたという若手のダンディーな?研究者の方とお会いしました。それが、いまや日本の科学コミュニケーションを率いるキーパーソンである、加藤和人さんでした。加藤さんからはNatureに掲載された、バッタで遺伝子発現をみたというカラフルな論文を紹介してもらい、これからはこういう研究も必要なんだ、と言われました。そのときは生物の多様性、モデル生物ばかりに頼るな、ということを言われたのかと思っていましたが、今考えると、研究を社会に伝えるためのビジュアル面を強調されたのかなと思っています。
その年は岡田節人先生を東大の五月祭にお呼びしたり、五月祭で一般市民向けの研究紹介の催しを行ったりと、その時の旅行での出会いに大いに刺激を受けてさまざまな活動をしたのを覚えています。
大学院では浅島誠教授(2001年学士院賞恩賜賞、現日本学術会議副会長)に弟子入りし、アフリカメガエルを使って人工臓器づくりに悪戦苦闘いたしました。
浅島先生はマスコミにも積極的に出演され、学内でも学部生向けに実験ゼミなどを開催していました。そういう活動を目の当たりにし、お手伝いをするうちに、科学は研究だけじゃない、市民や子どもたちに伝えることも重要なんだ、ということに気づくようになりました。これは浅島先生の意図と違っていたのかも知れませんが、浅島研で学んだことは大きかったように思います。1997年に蛋白質核酸酵素に「科学と啓蒙」という文章を書きましたが、これなどは浅島先生の影響が大きかったように思います。
大学院時代に生化学若い研究者の会に入ったことも、私のその後を決める上で非常に大きかったように思います。市民向けのイベント開催の経験を蓄積することができましたし、当時大学院生だった隅蔵康一さん(現研究政策大学院大学助教授)や岩崎秀雄君(現早稲田大学理工学部助教授)など、研究だけでなく科学と社会の関係を考えている多くの先輩や仲間と出会い、彼らから刺激を受けました。
大学院時代のなかばくらいからは、漠然と日本の研究システムのあり方を考えるようになりました。立花隆氏の東大駒場での講義を少し手伝ったことがきっかけで情報発信の重要性に目覚め、ホームページに日本の研究体制の問題点を書き綴るようになりました。1998年からは、生化学若い研究者の会の有志と「研究問題メーリングリスト」を主宰し、1000名を超える参加者とともに日本の研究体制の問題点を議論するようになりました。現サイコムジャパン顧問の林衛さんは、メーリングリスト立ち上げの時期から参加して下さっています。
2000年には、メーリングリスト主催で、科学者のキャリアパスを考えるシンポジウムを隅蔵さんとともに開催しました。キャリア問題がさまざまに取りざたされている今考えると先見の明があったのかなと思います。なお、現在サイコムメルマガの編集や科学コミュニケーションの言論で活躍されている立花浩司さんがこのシンポジウムのお手伝いをしてくださいました。
隅蔵さんはこのシンポジウムに集まった人たちを中心にSmipsを立ち上げ、そこからBLSやリバネスが生まれています。一方、今のサイコムジャパンのメンバーには、理事の富田さんをはじめ、当時の生化学若い研究者の会のメンバーが何人もいます。今行われているさまざまな科学コミュニケーションの活動が、生化学若い研究者の会起源だと考えると、何か不思議な感じがします。
私は生命科学をもっと直接社会に役立てたいという思いから、首都圏を離れ、生命科学の医学への応用(トランスレーショナル・リサーチ)を目指して神戸大学医学部に学士編入学しました。このころは、まだ研究者としてやっていきたいという希望が強かったのを覚えています。
その後さまざまなことがあって、興味の対象は次第に変化し、生命科学の研究そのものより、科学政策や科学と社会の関係に向き始めました。一人の生命科学研究者として生きるより、科学と社会のあり方を専門にしたいと思うようになったのです。そう思うきっかけになったのが、奨学金です。
2001年、奨学金制度がなくなるという情報を聞いた私は、このままでは若手研究者を取り巻く環境は悲惨なものになり、研究者を志す若手が減ると危機感を抱き、研究問題メーリングリストの仲間とともに投書活動などをするようになりました。朝日新聞やNature誌などに投書を送り、掲載されました。それはそれなりに反響を呼び、こうした活動をすることに充実感を感じました。しかし、これと同時に、さまざまな出来事があり、個人で活動することの無力さを感じました。いろいろ考えた結果、研究者を取り巻く問題を訴えていく団体(NPO)を作ろうと思うようになり、準備を始めました。
最初は研究者の待遇をよくする圧力団体にしようと考えていたのですが、科学編集者の林衛さんや科学技術社会論に詳しい春日匠さんと出会い、研究者の圧力団体など社会の支持を得られるはずがない、科学と社会の問題を考えていかなければならない、と思うようになり、当時まだまだ海のものとも山のものとも分からなかった科学コミュニケーションを活動の柱にすえることにしました。春日さんが提案し、名称もずばり「サイエンス・コミュニケーション」(略称サイコムジャパン)になりました。NPO法人化にはちょっと時間がかかったのですが、2003年12月に法人格を取得しました。
子どものころからの科学への興味、研究者を取り巻く諸問題への目覚め、加藤和人さんや生化学若い研究者の会の仲間たちとの出会い、そして林さんや春日さんとの出会い、そのようなさまざまなものが集結し、サイエンス・コミュニケーションが誕生したわけです。
個人的には、2004年に医師となり、2006年に医学博士の学位を取得しました。現在は病理専門医になるべく修行をする傍ら、NPO法人サイエンス・コミュニケーションにて科学と社会をつなぐ活動をしています。病理医になったのは、カエルの発生の研究をしていたとき、朝から晩まで細胞を眺めていて、組織や細胞の形の美しさ、多様さのとりこになってしまったのも影響しています。遺伝子より形態が好きなのです。研究からは少し離れていますが、そういう意味で病理は天職かも知れません。自分の中では、科学少年だった昔、発生学を志した若き日と現在はつながっています。
よく、今後どうするのか、何がやりたいのか、と聞かれますが、将来はサイエンス・コミュニケーションをアメリカのAAASのような団体にすることが夢です。AAASのように科学政策をレポートし、科学教育や科学コミュニケーションを応援し、研究者に役立つキャリア情報提供をし、そして研究者が生き生きと研究できる環境を実現したいと思っています。サイコムジャパンのミッションは「科学研究の知を駆動力とする社会の実現」です。これはAAASの活動と非常に近いわけです。もちろん150年の歴史のあるAAASとサイコムジャパンでは比べ物になりませんが、夢は大きく…ですよね。
もちろん今は生活をしていかなければならないので、病理医という本業をしっかりやっていきたいと考えていますが、時が来たら、サイエンス・コミュニケーションの活動にもっと時間を割く覚悟です。それでも、細胞を眺めるという、自分の研究の原点のような仕事は続けていくことができたらと思っています。自分のキャリアを考えるというのは、難しいことではありますが…
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